Hirofumi Yoshida - 吉田裕史

吉田裕史:指揮者
東京音楽大学指揮科及び同研究科修了。ドイツ・イタリアで研鑽を積み、2007年ローマ歌劇場カラカラ浴場野外公演を指揮、2010年1月よりマントヴァ歌劇場音楽監督に就任。
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2010年12月12日 23:22
「リゴレット」TG (RAI) ニュース
2010年12月11日 23:14
「リゴレット」公演評
ベルガモでの「リゴレット」についての公演評が "Cultura Italiana"に掲載されています。
(それに対して、音楽面では、マエストロ Hirofumi Yoshida の指揮は、
Staff
2010年12月 8日 23:31
「リゴレット」プレミエ
2010年11月28日 23:30
「リゴレット」4 (ユゴーの原作との比較)
今日からサッサリ(サルデーニャ島第二の都市)での公演準備が始まりました
。シチリア島ほどではありませんが、かなり温暖な気候で、アパルタメントのテラスからは普通は南イタリアでしか見かけないような植物や樹木(パームツリーのような)を借景として楽しむことができます。
多くの場合、オペラの歌詞は(原作者の意図を最大限に尊重しながら)台本作家の手を経て完成されます。
別の言い方をすれば、原作者と作曲家だけではオペラは成り立たないわけです。この「リゴレット」の場合、ユゴー(Victor-Marie Hugo)の原作「王は楽しむ」(Le Roi s'amuse)を基に、台本作家であるピアーヴェ(Francesco Maria Piave)がヴェルディとの緻密な打ち合わせのもとにリブレット(要するに台本)を作成しました。
さて、オペラのスコア(総譜)には、歌詞と音譜以外にもその時々(瞬間)の舞台上の動きやドラマを説明した "ト書き" というものが添えられています。例えば:
「リゴレットは中庭への扉を開ける。路地(に誰か怪しい者がいないかどうか)をチェックするために出ていくその間、マントヴァ侯爵はまったく誰にも気づかれないような素早い動きで中庭に入り込み、木陰に身を隠し、(リゴレット家の)メイドであるジョヴァンナに口止めのための"袋"を投げ渡す。」(()部分は私の手による補足)
もちろん、ここでは袋の"中身"については言及されていません。しかし原作から、またストーリーの前後関係から、そして何よりも演出家のドラマトゥルギーによって、(時には暗喩的に、時には直喩的に、また他の様々なレトリックを用いて)観衆に示され、心に訴えかけていくことになります。
それは、ちょうど指揮者がスコアの"行間"を読み込み、音符(音譜ではなく)からドラマを導き出そうとする過程と似ているかもしれません。このプロセス ‐膨大な時間がかかります‐ を経て、 単なる記号(音符)からドラマ(音楽)が生み出されていきます。(続)
Hirofumi Yoshida
2010年10月12日 23:23
「リゴレット」3(なぜ、舞台がマントヴァなのか?)
マントヴァは2008年に世界遺産の一つに指定されました。この街の美しさは、中世の有名な詩人をして "マントヴァはとても美しい街です。1000マイルの旅をしてまで見に行くほどの価値がある。"と言わせしめたほどです。
今日は、Palazzo del Te(パラッツォ・デル・テ)、つまり"テ・宮殿"に行ってきました。中世においてこの街を支配していたGonzaga(ゴンザーガ)家が、その権力と財力をフルに使って建造された数々の宮殿の中でも、最も趣向が凝らされたまるで美術館と見間違うばかりの宮殿です。(今日は、偶然私の誕生日だったので、星座の間より "天秤座のフレスコ画" を撮影してきました。右上の絵です。)
案内をしてくださったこの街生まれのジャーナリストであるアルベルトさん(御年80歳!)が、すべての"間"(部屋)についてとても丁寧に説明してくださいました。当然のことながら、そのお話のほとんどは、当時の封建的領主であったゴンザーガ家について、またそのお抱え芸術家たち ‐ジュリオ・ロマーノのような‐ についてのものとなりました。その結果、私が抱いた印象&感想としては、、この宮殿に描かれた壁画群は、かなり特殊なものであるというものです。全てを知り尽くしているであろうアルベルトさんですら、(いやむしろ、博識であり敬虔なキリスト教徒であるが故にでしょう)ストレートに表現することを躊躇されていましたが、、誤解を恐れず、率直に私の感想を述べるとするならば、この宮殿は "神をも恐れぬ欲望の館" と言えるのではないでしょうか。それは、単にこの宮殿がゴンザーガ家のフェデリコ2世によって、"彼の愛人のため" に贅を尽くして建造されたから、という理由だけではないように思えました。歴史的(ルネッサンス期という時代背景)、宗教的(ローマ・カトリックの弱体化)、思想的(ゴンザーガ家のDNA)など、すべての要素が絡み合った結果、この"離宮" が生み出されたのではないかと思うに至りました。
ヴェルディとピアーヴェ(台本作家)が、「リゴレット」の原作であるユゴー作「王は楽しむ」の登場人物の名前をすべて変更してまでも検閲の目をくぐり抜けこのオペラを世に送り出すことを強く願った際に、最終的になぜこの街を舞台に選んだのか? 今日、この宮殿を訪れ、アルベルトさんから本当に丁寧に説明を受けるにつれ、その謎が解けた気がしました。 ヴェルディが、どれだけ執拗に当局から台本内容についての変更を迫られても、決して曲げなかったポリシーが2点ありました。
「確かに、オペラの中ではDuca di Mantova(マントヴァ侯爵)という"タイトル"でしか登場しない。しかし、人々はすぐに理解するであろう。それがいつの時代の誰のことを指しているのかを。」
Hirofumi Yoshida
2010年10月 9日 10:49
「リゴレット」2(時代背景と"V.E.R.D.I")
・イタリアでオペラが誕生してから約400年が経っているが、この間、歴史的、政治的、地政学的に、多種多様な状況が発生、存在していた。
右の地図はイタリア統一運動真っ只中の、まさに「リゴレット」が作曲された頃のイタリアの "各国" の勢力図です。各国と言ったのは、つまりこの時代にはイタリアという国家はまだ存在せず、ナポリ王国やトスカーナ大公国、ヴ ェネツィアやロンバルディアなどのオーストリア領、いくつかのフランス占領地域、そしてローマ教皇領などに分かれていたからです。イタリアと言う国家の成立は イタリア統一運動 を経て1961年の統一達成まで待たなければなりません。
・それゆえ、イタリア人は、自分たちがイタリア人であるというよりは、、、
そこで、度々、日本人である私にとってはかなり興味深いことが起きるわけです。例えば、イタリア人に対して "君はイタリア人だよね?" と聞くと、もちろん、Si! という答えは帰ってくるのですが、、その後に必ずと言っていいほど、"自分は洗練された街ミラノの生まれです"、"オレは自由であることが誇りの ナポリの人間だぜ!"、"私はローマ帝国の首都で生まれ、7世代続く生粋のローマ人なのですよ" などといった答えが返ってくることになります。(イタリアに住んで9年目になりますが、実際のところ、今までに一度たりとも、イタリア人が "Sono Italiano(私はイタリア人です)" というのを聞いたことがありません! もちろん、日本にいる日本人も、"私は日本人です"という機会はそうそうないとは思いますが、、それにしてもただの一度も無いのですから、驚きです。)
また、様々なオペラのテキストをイタリア人の言語学者などから学んでいると、例えば、"イタリアでは、侯爵と公爵、男爵と子爵ではどちらが上の地位だったのですか?" などと質問すると、"マエストロはいつの時代のどこの "国" について質問されているのでしょうか?" という質問が返ってくることになり、その後は、決まって "ショウグンとテンノウの"実質的"上下関係やダイミョウの分類などについて反問されることになるわけです。
・V.E.R.D.I
上記のような理由から、1861年のイタリア統一に向けて、全イタリアが領土の回復(リソルジメント:基本的にイタリア語を話す地域を全て取り戻そうとの野心を抱いていた。)と独立を熱望していた中、ヴェルディは国民の期待を一身に背負って作曲活動を行っていました。オーストリアやフランスの占領下にあった北イタリア地方(マントヴァも含まれます)においては、間違っても "イタリア万歳!" "イタリア王に栄光あれ!" "イタリア王国建国を!" などといったスローガンを表立って掲げることは出来ませんでしたから、独立運動家たちはその代わりにヴェルディの名前を叫んだと言われています。何故なら:
Vittorio Emanule Re Di Italia!
(ヴィットリオ・エマヌエーレ、我らがイタリア王!)
という、スローガン(フレーズ)の各単語の頭文字を取って並べるとV.E.R.D.I となるからです。何故にヴェルディのみが国民的大作曲家と称されるのか?? ロッシーニもプッチーニも偉大な作曲家に変わりはないのではないか?
この問いに対する答えの一つが、間違いなくここにあります。
オペラ「リゴレット」が作曲されたのは、まさに、こうした国家統一への機運が最も高まりつつある時代でした。イタリア人指揮者達の多くがかなり熱い演奏を繰り広げ、聴衆もまたヴェルディの音楽に熱狂するのは、こうした時代背景と決して無縁ではないことでしょう。
Hirofumi Yoshida
2010年10月 8日 09:21
ヴェルディ作曲「リゴレット」1(オペラの歌詞と検閲)
このオペラを理解する上で必要とされる点や興味深い事柄などを、この国で学んだことや実際に体験したことを基に、書き留めていこうと思います。
・「リゴレット」は、 1851年にヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場で初演されたが、この時代、北イタリア一帯はまだオーストリアの占領下にあった。
そのため、このオペラの台本の検閲はイタリア当局によってではなく、オーストリア当局にによって行われた。歴史的に、オペラの台本というものは常に検閲を受けていたので、その内容は当時の政治的情勢と決して無縁ではいられなかった。
この"検閲"は、少なからずこのオペラの内容や歌詞に影響を与えることになった。「リゴレット」は、ヴィクトル・ユゴーの "Le roi s'amuse"(王は楽しむ)が原作であるが、そもそもこの時代、"王" を題材にしてコミカルな内容のオペラを上演することはほとんど不可能であったため、原作上の "王家" を "一地方の侯爵家" に置き換え、ドラマの舞台もフランスのパリからイタリアのマントヴァに変更することによって、やっと検閲を通過することができた。
また、同じように "カトリック教会" からの検閲もかなりの厳しさであった。オペラや演劇の上演に際し、舞台上で Chiesa(教会)やMessa (ミサ)といった単語を使用することは厳禁とされていた。そのため、「リゴレット」の歌詞の中でも明らかに違和感のある単語が散見される。
例えば、1幕が始まってすぐのボルサの歌詞:Di quella giovin che vedete al tempio? (お寺で見かけるあの若い女性ですか?)ここではChiesa(教会)の代わりにTempio(寺)という言葉を故意に用いている。
またそのすぐ後の侯爵の答え:Da tre mesi ogni festa.(この3か月間、毎回、お祭りで見かけるのだ。)ここでも、明らかにMessa(ミサ)の代わりにFesta(祭り)という単語を、検閲を通すために使用している。
・そのわずか10年後1861年にイタリアは統一を果たした。
「リゴレット」が作曲された当時はこうした激動の時代であり、まさに歴史がこれから大きく移り変わろうとしていた過渡期であった。来年2011年にイタリアは統一から150周年を迎えるが、1868年に維新を達成し2018年には明治維新から150年を迎える日本と、奇しくも、ほぼ同じ時期に変革を成し遂げたということはとても興味深いことである。
もし、このオペラが統一後に書かれていたら、、まったく違った内容(歌詞)となっていたことは想像に難くない。それほどまでに "検閲"がオペラの歌詞に与えた影響は大きなものであったため、台本作家であるPiaveや作曲家Verdiの意図や真意を正しく理解するためには、それらの影響を正確に把握し、十分に考察することが必要不可欠である。
Hirofumi Yoshida


