Hirofumi Yoshida - 吉田裕史

吉田裕史:指揮者
東京音楽大学指揮科及び同研究科修了。ドイツ・イタリアで研鑽を積み、2007年ローマ歌劇場カラカラ浴場野外公演を指揮、2010年1月よりマントヴァ歌劇場音楽監督に就任。
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2008年12月13日 00:22
ヴェルディ 2
"ヴェルディ" の続きです。
第3期は1871年の「アイーダ」以後で、ヴェルディの完成期と言えます。この時期に3作のオペラが作られました。
サッカーのワールドカップでも使用され、今や世界中の人々から愛される作品となった「アイーダ」。この一度聴いたら二度と忘れることのできない勇壮なメロディー(凱旋行進曲)が流れる"凱旋のシーン"は、オペラ史上最もスペクタクルな場面として、ヴェローナの屋外オペラフェスティヴァルやローマのカラカラ浴場野外オペラにおいても、メイン・プログラムとして繰り返し上演され続けています。
人間の持つ感情の中で最も激しく、抑えがたく、時には人生を破滅に導くほどに厄介な感情、"嫉妬"。一人の気高き英雄が部下の奸計にはまり、この嫉妬という感情に抗しきれず最愛の妻を殺し、最後には自身も自刃する、、この「オテッロ」というオペラほど、"感情と音楽がシンクロ"したドラマティックな作品はありません。
さて、「アイーダ」から「オテッロ」が書き上げられるまでになんと16年ものブランクがあったので、人々は皆、ヴェルディはもうオペラを書く情熱を失ってしまったのではないかと
心配し、待ちに待った"オテッロ"が発表された時には誰もがこれが最後の作品となるだろうと考えました。ところが、情熱を失うどころか、さらに作曲技法に磨きをかけた彼は、なんと80歳の時に最高傑作「ファルスタッフ」を作曲します。それがまたオペラ・ブッファ(お笑い系オペラ)というジャンルの作品だったので、さらに世間を驚かせました。そして、生涯最後のこの作品、その最後のセリフとして、「世の中なんて全て冗談だよ」(Tutto nel mondo è burla)"と言ってのけるのです。全人生を通して、常に"進化形"であり続けたヴェルディの面目躍如たる所以ではないでしょうか。この3作品は、どの作品もそれまでの作品以上に強烈な個性を放ち、そのどれもが"究極の完成品"となっています。
24. 「アイーダ」、カイロ
25. 「オテッロ」、ミラノ
26. 「ファルスタッフ」、ミラノ
以上26作品の中には、皆さんがすでに御存知の曲もかなりあるのではないでしょうか。
(※)イタリアには、サッカーに例えるとセリエAに相当する"国立歌劇場"が13あります。そのほとんどは、規模の大きな(人口の多い)街にあり、北から順にご紹介すると:
ミラノ、スカラ座 (1778年に杮落し)
ヴェネツィア、フェニーチェ劇場 (1792年)
トリエステ、ヴェルディ劇場 (1801年)
トリノ、レージョ劇場 (1740年)
ヴェローナ、屋外オペラフェスティヴァル (1913年)
ボローニャ、市立劇場 (1763年)
ジェノヴァ、カルロ・フェリーチェ劇場 (1828年)
フィレンツェ、五月音楽祭・市立劇場 (1862年)
ローマ、オペラ座 (1880年)
ナポリ、サン・カルロ劇場 (1737年)
カリアリ、オペラ劇場 (1993年)
バーリ、ペトゥルゼッリ劇場 (1903年)
パレルモ、マッシモ劇場 (1897年)
となっていて、これら国立歌劇場の下にセリエBに相当する"伝統的劇場"(Teatro di tradizione)、セリエCに相当する"その他の劇場"(Altre Istituzioni)、そして"音楽フェスティヴァル"(Festival di teatro musicaleというカテゴリーがあります。
① V E R D I の名前は、当時オーストリアの支配下にあったイタリア国民にとって、口に出すことを禁じられていた初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の名前を呼ぶ代わりに使われました。"Vittorio Emanuele Re Di Italia"(イタリア国王 ヴィットーリオ エマヌエーレ)の頭文字を合わせると奇しくもVERDIとなるからです。Viva Verdi!(ヴェルディ、万歳!)という言葉がイタリア全土で大流行しました。
② ワーグナーとヴェルディが、まったく同じ年(1813年)に生まれたというのはなんという偶然でしょうか。この2人の天才作曲家は常に世間から比較され、終生、ライヴァルであり続けました。
③ 生粋のイタリア人であるヴェルディですが、「ドン・カルロ」を始めとしてかなりの作品を、まずはフランス語で作曲しています。どうやら、かなりフランス語が得意だったようです。このことは、当時、生地ブッセートがフランスに占領されていて、小学校の授業がフランス語で行われていたことと無関係ではなさそうです。
④ 「ナブッコ」の大成功は、ヴェルディにオペラ作曲家としての確固たる地位をもたらしました。この頃、祖国統一運動が異常な高まりを見せていたこともあって、この曲の中で歌われる合唱"想いよ飛べ、金色の翼に乗って!"(Va pensiero!)は第二の国歌と呼ばれるまでになりました。イタリアでは今でも、歌劇場を舞台として、国家にとって重要な式典などが開催されることがありますが、その際にこの曲が演奏されると "感極まって" "興奮のあまり"2階や3階のバルコニー席から1階のプラテーア席(平土間席)に落ちてくる人がいるそうです(笑)。
⑤ 昨年、エジプト国立カイロ歌劇場で「アイーダ」を指揮した時のエピソードです。カイロはこのオペラの世界初演の地ですから、オーケストラも当然のことながら、この曲を知り尽くしていますし、相当の誇りと愛着を持っています。初日の練習の後、オーケストラのメンバー数人が、「マエストロ、我々はこの曲を良く知っています。何百回も演奏してきましたし、初演以来の伝統がありますから!」と話かけてきました。練習の2日目、2幕の"凱旋の場"を練習した時のこと、南国の温暖な陽気のせいでしょうか、ファンファーレのリズム感が何となく"マイルド"だったので、「みなさんの演奏は本当に素晴らしいです! でも、この部分は、イタリアで演奏されているヴェルディのリズム感でお願いします。」とだけ伝えました。すると、驚いたことに、私が思っていた以上にシャープでヴィヴィッドなリズム、そして勇壮な音楽が流れ出しました。しかも、たった1回の説明ですぐに。「音楽って、本当に世界共通の言語なんだ。"ヴェルディのリズム感、、"とたった一言伝えただけで、何十人もの音楽家が一瞬にして共通のフィーリングを感じとり、それがすぐに音に生まれ変わるとは!」 体験によって実感した瞬間でした。
⑥ 今年、パリ近郊で「椿姫」を指揮しました。パリ・ラムルー管弦楽団とヨーロッパの第一線で活躍する歌手たちとのゲネプロ(本番直前の練習)での出来事です。最終幕で、主人公のヴィオレッタが臨終直前でベッドに横たわり、主治医が彼女の往診に来て、その診察後に、召使いのアンニーナと会話をするシーンがあります。"先生、(ヴィオレッタの)具合はいかがでしょうか?" "残念ながら、そう長くは持ちません。。" 演出家の指示によって、このシーンの練習が何回か繰り返されました。すると、驚くべきことに、この部分を演奏するオーケストラの音色が、練習を繰り返すたびにどんどん暗く、深く、悲しみを秘めた音に変化していくのです。しかも、指揮者である私は指示を出していないにも拘わらず、勝手に(笑)。休憩時間、コンサートマスターとこのことについて話すと、「マエストロ、そんなに驚くことはありません(笑)。フランス人にとってイタリア語は、ちょっとした"方言"みたいなものですから。日本でも、東京と大阪の言葉は少しばかり違うとお聞きしたことがありますが、、似たような感じではないでしょうか。」との答えが返ってきました。"言葉が分かる →舞台上のドラマが理解できる →演奏(音楽)が変化していく"という、考えてみればとても自然な流れを再認識させられた出来事でした。
Hirofumi Yoshida

